書くことは学ぶこと

学部生 都市とかカメラとか登山とか

走り出した列車は止まらない

特に深く考えず大学に進み、大学院に進んできた。

いや、その都度自分なりに色々と考えてその選択肢を選んできたつもりではある。でも、言い訳を並べるのであれば、「そうした方が良さそうな」条件を提示されてきたからそれを選んできたような気がしてしまう。それが「一般的には」「他人を見る印象としては」良いものと考えて選んできてしまった。

 

大学院に進む人たちは同年代で数パーセント、所謂「エリート」などと呼ばれる人々であろう。気がつけば、それが求められてしまう立場になってしまっていた。

 

自分の生まれ育った環境には「エリート」という人々を見たことがない。その人達がどんな姿で、どんな生き方をしてきたのかを知らない。

 

自分は「エリート」になれるのだろうか。少なくとも今、この修士課程の2年で成果を出せるのか。そしてその後の40年の人生で「エリート」であり続けられるのだろうか。そうであれたとして、自分は幸せなのだろうか。もしなれなかった時、自分はどうなってしまうのだろうか。

 

私には分からない。

耐えられる自信がない。

 

いつそのレールから踏み外せるのか、そればかり考えてしまっている